CANNONBALL ADDERLEY SOMETHIN’ ELSE

ミュージック

アルバムについて

「Somethin’ Else」は、アメリカのジャズ・アルトサックス奏者であるCannonball Adderley(キャノンボール・アダレイ)が1958年にリリースしたアルバムで、ジャズ史に名高い作品のひとつです。このアルバムは、ジャズ初心者にとっても非常にアクセスしやすく、ジャズの魅力を理解するのに適したアルバムです。

アルバムには、以下の6曲が収録されています。

  1. “Autumn Leaves” (秋の落葉)
  2. “Love for Sale” (愛の売買)
  3. “Somethin’ Else” (サムシン・エルス)
  4. “One for Daddy-O” (ワン・フォー・ダディオ)
  5. “Dancing in the Dark” (ダークでダンシング)
  6. “Alison’s Uncle” (アリソンズ・アンクル)

このアルバムは、ハード・バップと呼ばれるジャズのスタイルを代表する作品です。ハード・バップは、1950年代にビバップ(一つのジャズのスタイル)から派生したもので、ブルースやゴスペルの要素を取り入れていることが特徴です。リズムやハーモニーが複雑でありながらも、楽曲は非常にエネルギッシュでメロディアスです。

「Somethin’ Else」の録音には、ジャズ界の巨匠たちが参加しています。トランペット奏者のMiles Davis(マイルス・デイビス)、ピアニストのHank Jones(ハンク・ジョーンズ)、ベース奏者のSam Jones(サム・ジョーンズ)、そしてドラマーのArt Blakey(アート・ブレイキー)が共演しています。

特に、「Autumn Leaves」と「Love for Sale」は、ジャズ・スタンダードとして非常に有名で、さまざまなアーティストによってカバーされています。また、タイトル曲である「Somethin’ Else」は、キャノンボール・アダレイの代表曲として知られており、彼の個性的なサックスのプレイが際立っています。

ジャズ初心者にとって、「Somethin’ Else」は、ジャズの歴史やスタイルを学ぶのに最適なアルバムです。独特なリズムやメロディ、そして豪華な共演陣によって、ジャズの豊かさと多様性を感じることができます。

時代背景について

「Somethin’ Else」が制作された1958年は、アメリカのジャズシーンにおいて多様な音楽スタイルが発展し、繁栄を極めていた時代でした。第二次世界大戦後の1940年代後半から1950年代にかけて、ジャズはビバップと呼ばれる革新的なスタイルへと変化しました。ビバップは、従来のスウィング・ジャズよりも高速で複雑なリズムとハーモニーを特徴としており、ジャズの音楽性を大きく発展させました。

ビバップの影響を受けつつ、1950年代にはさらに多様なスタイルが登場しました。ハード・バップはその一つで、ブルースやゴスペルの要素を取り入れたビバップの派生形態で、よりアクセスしやすいメロディやグルーブを持っていました。Cannonball Adderleyは、このハード・バップの流れに乗り、アルバム「Somethin’ Else」でそのスタイルを体現しています。

また、1950年代はアメリカの公民権運動が活発化する時代でもありました。この時代のジャズミュージシャンたちは、音楽を通じて人種差別や社会的不平等に対するメッセージを発信し、自己表現の手段として活用していました。Cannonball Adderleyもまた、音楽を通じて黒人アーティストとしてのアイデンティティを表現し、ジャズ界で名声を築きました。

このような時代背景を踏まえると、「Somethin’ Else」は、音楽的な革新と社会的な変化が相互に影響しあう中で生まれた作品であることがわかります。アルバムの音楽性は、当時のジャズシーンの多様性を反映しており、後のジャズの発展にも大きな影響を与えました。

アーティストについて

Cannonball Adderley(キャノンボール・アダレイ、本名:Julian Edwin Adderley)は、1928年9月15日にアメリカ合衆国フロリダ州タンパで生まれたジャズ・アルトサックス奏者です。彼は、1950年代から1960年代にかけて活躍し、特にハードバップとソウルジャズの分野で名声を確立しました。

アダレイは、高校で音楽を教えていた経歴がありますが、1955年にニューヨークへ移り、ジャズミュージシャンとしてのキャリアを本格的に開始します。彼は、オスカー・ペティフォードやディジー・ガレスピーなどの著名なミュージシャンと共演し、急速にその名を広めました。1957年には、自身のバンド、キャノンボール・アダレイ・クインテットを結成し、弟であるナット・アダレイ(トランペット奏者)と共に活動しました。

彼の演奏スタイルは、独自のバイブラートや速弾き、情感豊かなメロディが特徴的で、非常にエネルギッシュかつ抒情的です。また、彼は親しみやすい人柄で知られ、ステージ上で観客との交流を楽しむ姿が度々見られました。

キャノンボール・アダレイは、ジャズ史に名高いアルバムをいくつも制作しましたが、「Somethin’ Else」(1958年)や「Mercy, Mercy, Mercy! Live at “The Club”」(1966年)が特に有名です。また、彼はマイルス・デイビスの名盤「Kind of Blue」(1959年)にも参加しており、その名を不朽のものとしました。

彼の音楽は、後のジャズミュージシャンに大きな影響を与え、彼の名は今日でもジャズ史において重要な位置を占めています。残念ながら、キャノンボール・アダレイは1975年に脳卒中で亡くなりましたが、彼の音楽は今も多くの人々に愛され続けています。

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